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わたしと女子プロレス 7

先日、B&B柳澤健さんと『井田真木子女子プロレスの時代』(イースト・プレス)の出版記念イベントに出させてもらった。
今年の6月に女子プロレスを初めて観たばかりなのに、プロレスの名著を多数書かれている柳澤さんと対談。しかも『井田真木子女子プロレスの時代』には寄稿までしている。
われながらちょっと運が良すぎるというか、タイミングが良すぎると思ったけれど、
こんな嬉しいことは、力不足だろうがなんだろうが、やるしかない。

柳澤さんは、「雨宮さんの話したいことを話して。女の子が女子プロレスを観て、どこにぐっと来たのか、そういうことを話して」と言ってくれ、
わたしは、柳澤さんの本(『1985年のクラッシュ・ギャルズ』)を読んで、
長男のように育てられた長与千種のこと、
女であることに苦しむ女たちが、クラッシュ・ギャルズに熱狂したこと、
自分は、プロレスラーという強いものになるには、女を捨てなきゃいけないと思っていたのに、
強くてかっこよくて美しくて、女をひとつも捨てないどころか、全身で咲き誇るような里村明衣子選手を観てしまったことなどを話した。

話しているうちに、自分がやはり父親から、まるで長男のような期待をかけて育てられたこと、
なのに同時に女であるからと厳しくされたことなどが出てきて、泣いてしまった。

柳澤さんも、井田さんの話をするとき、泣いてらした。

昔だったら、できない話だったし、
相手が柳澤さんだから、題材が女子プロレスだから、というのもあったと思う。
けれど、女子プロレスを観ているうちに、わたしは確実に、自分の感情や弱みを見せることは、恥ではないと思うようになった。

プロレス以外のものを観ていても、思うことだけど、
人が輝くには、「こういうものが今流行っている」とか「こういうものが受ける」とか、
「だからこういうふうに見せかけてみよう」みたいなものは、全然通用しない。
人は、人を見る。人が人を見る目って、それなりに確かだ。
強いだけでも、美しいだけでも、誰もを感動させるスターになれるかは、また別の話なのだ。

人の心を動かすには、その人がその人自身になるしかない。
欠点も、弱点も背負った上で、「私は私です」と、開き直ったその人自身を、見せていくしかないのだと思う。
そうして、本当に自分の力で自分自身を勝ち取ったときに、輝きを放てるのだと思う。

文章やわずかな映像でしか知らないが、里村明衣子選手のプロレス人生は、
決して順風満帆ではない。
女子プロレス人気が下火になってゆく過程でずっと選手を続け、
仙台に団体を立ち上げて、震災もあった。
選手としての悩みもたくさんあっただろうし、
団体を支える代表としての悩みもあっただろうと思う。

自分だったら、自分がもしそんな20年を過ごしていたら、
絶対に世間を恨んだし、なぜ誰もわたしの苦労をわかってくれないんだ、と
被害妄想的な気持ちになったと思う。

里村選手に、そうした鬱屈とした部分はまったく感じない。
いつも、試合では仁王のような顔をしているけれど、
普段はとても晴れやかな笑顔で、心から楽しそうで、満足しているように見える。
どうして、あんなふうにいられるんだろうか。
本当に好きなことを好きなだけ全力でしていれば、あんなふうになれるんだろうか。

仙台の20周年記念試合で、里村選手が、
「私の目標は、2020年に武道館で試合をすることです」
と言ったとき、
こみあげるものがあった。

自分は、そんなふうに何かを、信じたことがあるだろうか。
人にバカにされるかもしれないような、大きな目標を持ったことがあるだろうか。
「できる」と信じた目をして、言えるだろうか。

でも、あのときわたしは、「できる」と思ったのだ。
この人ならできるし、本当に今の勢いならできるかもしれない、と。

夢を持つことは、誰にでも、わりとできることかもしれない。
でも、その夢を人に信じさせることは、誰にでもはできない。

※東京では直近で1月9日に新宿FACEで里村選手率いるセンダイガールズプロレスリングの試合があります。4月には後楽園ホールであります。
今の仙女には、本当にいい選手が揃っているので、ぜひ観に来てください。

www.sendaigirls.jp