わたしと女子プロレス 6

10月11日に、仙台サンプラザホールで、里村明衣子20周年記念試合が行われた。
わたしがこれまで本でしか読んだことのない、神取忍選手も出るし、
仙女の選手も全員出る。
見逃せない試合だと思って、仙台まで行くことにした。

このとき、仙女の仙台幸子選手が、来年に結婚を理由に引退することがすでに発表されていた。
仙台幸子選手は、仙女という小さな団体を支える大きな柱で、彼女が抜けることが痛手でないはずがない。
かすかに「どうするんだろう? 大丈夫かな?」という気持ちを持っていたら、
後輩にあたる宮城倫子選手が動いた。

この試合で、宮城倫子選手は、
カサンドラ宮城」というヒールに転向したのである。
試合に先立って行われた記者会見では、
心配になるほど下手なアイメイクをした姿で現れ、
「朝起きたら、このような姿になっていた」
と、突然言い出した。
「魔王様の命令で〜」と、ディテールが適当な話を繰り広げる宮城選手に、
「こういう形で、仙女の屋台骨を背負おうとしているのか」という心意気を感じ、
カサンドラになった宮城選手の姿を見るのが楽しみだった。

登場したカサンドラ宮城選手は、前髪を金髪に染め、
紫の口紅をつけ、メイクも上手になっており、
衣装も含めて完成度の高い悪役になっていた。
そして、客席から「試合前なのに大丈夫!?」という声が上がるほど激しいヘッドバンキングをして、
最後にコーナーで毒霧を吹いた。
立派だった。
何かを背負おうとしている、そして、これをきっかけに一回り大きくなろうとしている、カサンドラ宮城選手が愛おしかった。

 

そして、この日も旧姓広田さくら選手はすごかった。

新崎人生(男性です)選手と対戦したのだが、白装束に傘をかぶって登場し、傘を脱いでその中に衣装を脱ぎ捨てていき、最後に印を結ぶ、という新崎選手のスタイルを、先に登場した広田さくら選手が丸パクリしたのである。
しかも、脱いだ上半身には肌色のピタピタのを着ており、そこには耳なし芳一のお経のように、寿司屋の湯のみに書いてある魚の漢字がびっしり書いてあったのだ。
そのあとに同じテーマソングで出てきて、本来かっこいいはずのその儀式を行う新崎選手の立場といったら、ない。新崎選手が本物なのに、新崎選手のほうが面白くなっちゃうんである。新崎選手のいつもの入場までもが、広田選手のせいでパロディ化されてしまったのだ。
もちろん、こんなもんやってられない新崎選手は、数秒で試合を終えたのだが、広田選手に「女子プロの世界ではな、3分以内に試合を終わらせるのは給料泥棒って呼ばれてんだ!」と再戦をふっかけられて再戦し、広田選手の得意技に一通りつきあわされていた。

毎回のようにこんなことをやっている広田選手にも驚かされるし、
コスプレしてくるところまでは想像できても、まさか身体に魚の名前まで書いてるとは誰も思わないだろう。
それで、面白い試合を成立させてしまっている。怒られるんじゃないか、とかびびっている様子は少しもない。受け入れられないんじゃないか、という自信のなさのようなものも、ない。
初めて観る人がいても、大丈夫だという自信に満ちている。
何をするかわからないけど、広田選手なら絶対に大丈夫、という謎の安心感があった。

少しだけ、なぜ広田選手が天才だと言われているのか、その理由に触れた気がした。
場を掌握できるし、その場に柔軟に対応ができるのだろう。そういう種類の自信があり、そうしたことを楽しめる才能があるのだろう。


今回の試合の直前に、仙女は初めてチャンピオンベルトを作った。
タッグ戦のベルトと、シングルのベルトの2つである。
タッグのベルトは、仙台幸子とDASH・チサコの十文字姉妹が獲った。
そして、ファイナルの初代王者決定戦を、里村明衣子浜田文子が戦うことになった。

この試合が、死闘だった。
苦しく、長い試合の中で、私はいろんなことを考えた。
「プロレスが好きになった」と言うと、必ず言われる言葉がある。
「プロレスって、結果は決まってるんでしょ? 決まってるのに面白いの?」

わたしはこれに対して、答える言葉を持っていなかった。

目の前で何度も倒れ、激しく当たられ、ダメージを受ける里村選手。
自分が作った初代チャンピオンベルトを、獲らなければいけないはずなのは里村選手だ。

しかし、彼女はかなりボロボロの状態で、浜田選手と戦っている。
負けてもおかしくないし、怪我などで試合が中断されるかもしれないと思った。意識を失っているんじゃないか、と心配になる場面もあった。
それを見ていて、わかってきたことがある。
試合が、こういう流れになるはずだとわかっていても、簡単にわかりやすく勝つことはできない。
誰もが納得できる形で、こいつが最高に強いんだ、と納得させられる形で勝たなければ意味がない。
だから、相手の技を受けて、受けて、受けても立ち上がって、勝とうとする。相手も簡単に勝たせたくないから、もう無理じゃないかというところまで追い詰めていく。
「無理かもしれない」と思う度、里村選手の名前を呼びながら、

私は、これがプロレスなんだ、と初めて思った。

勝つべき者が背負うものは、簡単な勝利なんかではなくて、
絶対に負けられない勝利なのだ。

本当に強いから勝ったんだ、という説得力のある試合を見せなければいけないのだ。

「負けられない」というのは、「逃げ場がない」と同じことで、
そこから逃げずに勝つから、素晴らしいのだ。
あの死闘の中で勝たねばならない十字架を背負って、逃げ場を持たずに戦っている、
そのことこそが、プロレスの醍醐味なのかもしれない、と思った。

決して負けられない試合を、いったいどのくらいしてきたんだろう。
身体に受けるダメージは、嘘や演技じゃない。それを受けても受けても立ち上がって勝つための努力を、どれだけしてきたんだろう。
この日、こんなに凄い、本気でハラハラする試合をした二人には、どんな絆があるのだろう。
お互いの身体を痛めつけながら、心を握り合うような試合に見えた。

美しく、激しい、素晴らしい試合だった。これが観れて本当に良かった。

 

ベルトを獲った里村明衣子選手が、「これを獲りに来ようっていう、若いのはいないのか!?」と煽ると、数人の若い選手がリングに上がってきた。カサンドラ宮城は上がってこない。
カサンドラはいいのか?」と訊くと、「魔王様が……まだ早いと」とカサンドラは答え、里村選手は「そうか、魔王様がそうおっしゃるならしょうがないな」と魔王設定にのっかってあげていた。
そこに名乗りを上げたのがアジャ・コング選手だ。
「里村ーッ! てめえさっきから若い力若い力って言ってっけどよぉ、泥水30年間飲み続けてきたアジャの強さ、見せてやるよ!」と言って、マイクをダンッ! と床に叩きつけた。
泥水飲んだ30年間。嘘じゃないだろう。女子プロレスの不遇をよく知っている人のはずだ。
かっこよかった。いつも、真実は人の心を打つもんだ。

里村選手の20年は、どんなものだったのか。
「20年間のプロレス人生の中で、今が一番、身体の状態がいい」と言い切った里村選手。
わたしが里村選手に見ているのは、希望だ。

以前は、プロレスファンがなぜ論争をするのか、よくわからなかったが、
プロレスを観ながら、人はそこに自分の人生と関わる何かを観ているのだから、
しょうがないんじゃないかと思えてきた。
アジャ選手が飲んだ泥水のことをバカにされたらわたしは怒るし、カサンドラ宮城選手の変貌を笑う人がいたら「どんな気持ちでやったかわかってんのかよ!」と噛みつきそうになってしまう。
里村選手の悪口なんか言われたら、もう、絶対に許せない。

生きていて、たまに、自分のしていることなんて、何にもならないことなんじゃないかと思うことがある。
もともと、ものを書く仕事なんてそういうものだから仕方ないけど、それなりに志を持ってやっているはずのものが、誰にも通じず、伝わらず、やってることに意味なんてないんじゃないか、そもそも自分に力がないんじゃないか、と思い始めることがある。
そして落ち込んでいき、無力感にとらわれていく。
自分には、何もできないんだ、つまらないことしかできないんだ、と。
そんなときに観る里村選手は、ただ一人、自分を助けてくれる人だった。
里村選手は、やっているんだ。
無理かもしれないと言われたことをやり遂げて、今も勝負を、諦めずに続けているんだ。
そう思うと、里村選手に恥ずかしくない自分でいたいと思えた。里村選手のようにはなれなくても、1/100の努力ぐらいはできるんじゃないか。
スーパースターというのは、そういうことを思わせてくれる人なんだ。

どんなに遠くても、いつも近くにいて、勇気をくれる存在。それがスーパーヒーローで、わたしのヒーローは、里村選手だったのだ。

 

 

11月12日(今週の木曜です)に、後楽園ホールで仙女の試合があります。満員の観客で仙女のみなさんを迎えたいと思っています。ぜひ、観に来てください。

www.sendaigirls.jp