こないだの雨宮

日曜の朝日新聞にインタビューが掲載された。
「東京を生きる」が出たことで、いくつかインタビューをしていただいたが、
うまく言葉が出てこなくて、インタビューというのはいつも、ちょっと申し訳ない気持ちになる。

今回は、「なぜ文体を変えたか」ということ、
「なぜ東京を舞台にしたか」ということを訊かれることが多い。
(自分がインタビュアーでも、そう訊くと思う)

常々思っていることだが、

「女性のエッセイスト」というのは、
私生活を晒すことを求められすぎると感じる。
もちろん全員ではない。書く内容にもよるが、
結婚しているか、いないか、
子供はいるか、いないか、
彼氏はいるか、いないか、
お金はどのくらい持っているのか、

見た目はどんなか、
そういう情報の開示を求められる。

私の場合、デビュー作が自虐文体だったから、
そうした情報の開示を求められた。
そして、そのあとは、
「独身」「30代」「女性」という「立ち位置」の枠内で、
何か書いてほしいという依頼が増えた。

30代なのも独身なのも女性なのも事実だし、
別にそのことがいやだというわけではないし、
「30代の独身女性」でなければ書けないことも書いた。今しか書けないことというのは、いつでもある。
でも、ときどき、
「わたしは、『30代の独身女性』じゃなくて、わたしという一人の人間なんです」
と、言いたい気持ちになることがあった。

限りなくかぶせられ続ける属性。

その属性の範囲内で、その属性だからそうなんだと納得してもらえることしか書けないのではないか、という息苦しさ。
そういうものが常にあった。

「東京を生きる」の元になった連載が始まったのは、
「女の子よ銃を取れ」という本の連載と、まったく同時期である。

「女の子よ銃を取れ」は、
「こじらせている自分から、どうしたら抜け出せるんですか?」
と、イベントで訊かれたことから始まっている。
多くの人が外見のコンプレックスを抱えていて、
そこから自由になれない苦しさを持っていた。
わたしにもそういう気持ちは、今でもあるけれど、
克服してきたものもある。
上からものを言うみたいで抵抗があったけれど、
前に進むためのものを、できるだけきちんと、説得力を持たせられるように説明して書こうとしたのが、「女の子よ銃を取れ」だった。
自分の心の支えになっているのは、そうした本だったから、
自分もそんな「克服のための本」を書きたいと思った。

それと同時に始めたのが「東京」という連載だった。
それは、爆発しそうな気持ちをぶちまけていい場所だった。
矛盾があってもいい。「30代独身女性」のエッセイなんかじゃなくていい。
哀れだと思うなら思えばいい。
馬鹿だと思うなら思えばいい。
檻に閉じ込められそうな「30代独身女性」って、みんなが思ってるような、そんなもんじゃないし、
わたしがそうであるように、誰も「30代独身女性」なんかじゃない、めちゃくちゃな個人なんだと思いながら、書いていた。

ほとんどポルノのように、私生活はどんなか晒せと求められるのに、
多様性なんか求められていないし、ネタになるような変わった話か、「30代独身女性代表」みたいな意見が言える「立ち位置」か、
そのどちらかしか求められない。
毎日のように怒っている。
怒りを音楽で押し流している。

わたしはわたしで、属性はどうでもいい。
性別も年齢も恋愛も結婚も出産も、「キャラ付け」のための材料なんかじゃない。

前に進むための、双子のような連載だったと、今は思う。
もっと、書きたい。