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わたしと女子プロレス 8

12月23日、里村明衣子はスターダムのベルトを紫雷イオに奪われた。
里村が負けた。
「絶対、また挑戦しますから」
里村選手はその一言しか言わず、リングを後にした。
あんな悔しそうな顔は初めて見た。

これが、わたしにとっては今年最後に観る里村選手の試合だった。

 

あの試合のあと、いろんなことを考えた。
自分のことを振り返った。
(ここから、プロレス全然関係ない話です)

たとえば、いまでもわたしは、
「こじらせ女子って、自分はダメだからコンプレックスあるから無理〜って人のことひがんでねたんでグチグチ言ってるだけの根性曲がった女のことでしょ?」
という偏見を向けられることがある。

発端は星野源さんが、an・anのインタビューで、
おそらくわたしの本を読んでいないのに、インタビュアーに「こじらせ女子ってどう思いますか?」と訊かれ、
そうした世間の偏見の印象のまま「ダサイ。大嫌い」と答えたことだと思う。

わたしは、星野さんがどうというよりは、
読んでないことは確認できたと思うのに、世間一般の「印象」としてのこじらせ女子について質問し、
こういう答えが出たら載せる、というan・anの方針についても
強い疑問を持った。
誰かに代表して「言わせた」言葉にしか見えなかったから。

自分の書いた「女子をこじらせて」という本と、「こじらせ女子」という言葉は、
もはや乖離していて、
言葉のもとになった本にあたってみよう、正確にはどのようなことなのか知ろう、
という動きもほぼないのだと知った。
何かを言おうにも、そのあやふやな「こじらせ女子」に対して言われていることは、自分の書いたことに対して言われていることではなくて、どうにも噛み合わないところもあった。

自分の本は「じゃあこじらせ女子ってなんなんですか?」という問いに答える本ではない。
「こじらせ女子」とは何か、について書いた本ではない。
ただ、自分のこれまでの話を書いた本で、その自分の状態を「こじらせている」と表現しているだけで、他人をカテゴライズするための言葉ではない。
「私もこじらせてたんです。自分を表現する言葉が見つかってよかった」
と言ってくれる人もいたが、
偏見が広まるにつれ、「こじらせている」と自分から言おうものなら

「こじらせは甘え。コンプレックスを言い訳に行動しない女なんだろ?」

と冷たい目を向けられるような空気が生まれた。
読んでくれた人、共感していると表明してくれた人たちにまで、申し訳ない気持ちになった。

自分が発言しても、もう手に負えないほど、そうした偏見は広まっていたし、
もうどうしようもないという気がした。
あまりに見事に返される手のひらを見ていると、
「ああ、こんな、盛り上がったら盛り上がってる方に、逆張りが来たらそっち側につくような動きに、本気で意見を述べていくなんて、疲れるだけじゃないか」
と思った。
怒って、悔しい思いをして、でも全員に理解してほしいとも思ってなかった。「こじらせ女子」という言葉がなんか気に入らないからと、ただツイッターで一言言うくらいの人たちが、わざわざ本を読んでくれるとも思えなかった。

あきらめていた。

無駄に怒って、戦って、そんなことをしたら毎日どんなに心が削られるかと思ったし、
もともと攻撃的な人格が前に出てきて、人相が悪くなる、と思っていた。
無意識に「怒ってはいけない」と思っていたのだ。

本当にそうなのだろうか。
「怒ってはいけない」は、
「女が怒ってたら、イライラしてたら、人相が悪くなるよ」というのは、
「怒ったら、美しさとか穏やかな外見とかそういうものをすべて奪われる」という脅迫観念に近いものだったのではないだろうか。

自分が書いたもの、掲げた看板に対して、
よく見もせずに、適当なことを言われて、
本当は怒っているのに、
血が逆流しそうに怒っているのに、
それを我慢して、大したことがなかったふりをして笑って、

それで人相が歪まないと思っていた自分のほうが、いまは信じられない。
歪むに決まってるじゃないか。

 

怒ればよかったんだ。
自分の名誉を守るために、怒ればよかったんだ。
自分の名誉なんか、ないと思ってたし、そんなもん守ってどうなると思ってたけど、
それを守るのは、自分しかいなかったじゃないか。

怒りをなかったことにして、不信を感じなかったことにして、
それで心が穏やかになったかというと、そんなことはなくて、
おさえつけてなかったことにしてきたそれらの感情は、巨大な「無力感」になった。
ここまで書いても伝わらないんだという、巨大な無力感。
言葉が広まっても読まれないんだという、強烈な無力感。

それがあったから、丁寧に書こう、伝わるように書こう、としてきた数年ではあったかもしれない。
あの悔しさがあったから、自分が悪い、伝わるように書けない自分が悪い、売れてない自分が悪いと思って、がんばれたところもあったかもしれない。
けど、あのとき損なわれたものは、もう二度と返ってこない。
ただ、いま、自分に書ける最上のものを書こう、そうすれば必ず伝わるのだと、
それしか道はないんだと信じていた気持ち。
二度と返ってこない。

でも、その気持ちはまだ少しは残っている。
残っている。
毎日死にたいけど、こんな文章しか書けないまま死にたくない。

無力感のどん底にいたときに、出会ったのが女子プロレスだった。
自分の輝きを放とうと必死な女たちを見ていると、いつも、
自分はこんなふうに生きているだろうかと思う。
認めてもらえるかなんて、知らない。
伝わるかなんてわからない。
知名度も、才能も、力も、なにもかも足りてなくても、
リングの上で堂々と立つ人たちの背中は、いつもまぶしい。

正しくなくていい。間違っててもいい。
王道でも、邪道でもいい。
才能があってもなくても、実力があってもなくても、
そこに立った以上、立てた以上、輝きを放てないまま、リングを降りたくないと、
誰もが思うんじゃないか。

プロレスで、わたしは、勝手に人間を見てる。
人生を見てる。
今年の半分は、そのことに支えられた。
里村選手の背中に、十文字姉妹とサンダーロックの攻防戦に、カサンドラ宮城の誕生に、岩田美香の鋭い闘志が宿る目つきに、橋本千紘の三人抜きに、支えられた。
いいときも悪いときも、戦わなきゃいけない。
いいときだけの人生なんてない。
そういう、言葉で言えば当たり前のことが、
一人の人間の存在を賭けて証明される瞬間を、何度も観れた。

里村選手と戦える嬉しさに、
里村選手と同じ赤いコスチュームを纏い、里村選手と同じ真っ赤な口紅をつけて登場した紫雷イオ選手。
その心意気がまぶしい。
まっすぐさがまぶしい。
戦いは続くし、人生は続く。
何をすれば勝てるのか、負けるのか、輝けるのか、わからない。
でも、何もしないで勝てることはないんだ。

負けたときに、悔し泣きするような思いを賭けた人生でありたい。
今年観た女子プロレスのすべての試合に、感謝を。
来年も、よろしくお願いします。

わたしと女子プロレス 7

先日、B&B柳澤健さんと『井田真木子女子プロレスの時代』(イースト・プレス)の出版記念イベントに出させてもらった。
今年の6月に女子プロレスを初めて観たばかりなのに、プロレスの名著を多数書かれている柳澤さんと対談。しかも『井田真木子女子プロレスの時代』には寄稿までしている。
われながらちょっと運が良すぎるというか、タイミングが良すぎると思ったけれど、
こんな嬉しいことは、力不足だろうがなんだろうが、やるしかない。

柳澤さんは、「雨宮さんの話したいことを話して。女の子が女子プロレスを観て、どこにぐっと来たのか、そういうことを話して」と言ってくれ、
わたしは、柳澤さんの本(『1985年のクラッシュ・ギャルズ』)を読んで、
長男のように育てられた長与千種のこと、
女であることに苦しむ女たちが、クラッシュ・ギャルズに熱狂したこと、
自分は、プロレスラーという強いものになるには、女を捨てなきゃいけないと思っていたのに、
強くてかっこよくて美しくて、女をひとつも捨てないどころか、全身で咲き誇るような里村明衣子選手を観てしまったことなどを話した。

話しているうちに、自分がやはり父親から、まるで長男のような期待をかけて育てられたこと、
なのに同時に女であるからと厳しくされたことなどが出てきて、泣いてしまった。

柳澤さんも、井田さんの話をするとき、泣いてらした。

昔だったら、できない話だったし、
相手が柳澤さんだから、題材が女子プロレスだから、というのもあったと思う。
けれど、女子プロレスを観ているうちに、わたしは確実に、自分の感情や弱みを見せることは、恥ではないと思うようになった。

プロレス以外のものを観ていても、思うことだけど、
人が輝くには、「こういうものが今流行っている」とか「こういうものが受ける」とか、
「だからこういうふうに見せかけてみよう」みたいなものは、全然通用しない。
人は、人を見る。人が人を見る目って、それなりに確かだ。
強いだけでも、美しいだけでも、誰もを感動させるスターになれるかは、また別の話なのだ。

人の心を動かすには、その人がその人自身になるしかない。
欠点も、弱点も背負った上で、「私は私です」と、開き直ったその人自身を、見せていくしかないのだと思う。
そうして、本当に自分の力で自分自身を勝ち取ったときに、輝きを放てるのだと思う。

文章やわずかな映像でしか知らないが、里村明衣子選手のプロレス人生は、
決して順風満帆ではない。
女子プロレス人気が下火になってゆく過程でずっと選手を続け、
仙台に団体を立ち上げて、震災もあった。
選手としての悩みもたくさんあっただろうし、
団体を支える代表としての悩みもあっただろうと思う。

自分だったら、自分がもしそんな20年を過ごしていたら、
絶対に世間を恨んだし、なぜ誰もわたしの苦労をわかってくれないんだ、と
被害妄想的な気持ちになったと思う。

里村選手に、そうした鬱屈とした部分はまったく感じない。
いつも、試合では仁王のような顔をしているけれど、
普段はとても晴れやかな笑顔で、心から楽しそうで、満足しているように見える。
どうして、あんなふうにいられるんだろうか。
本当に好きなことを好きなだけ全力でしていれば、あんなふうになれるんだろうか。

仙台の20周年記念試合で、里村選手が、
「私の目標は、2020年に武道館で試合をすることです」
と言ったとき、
こみあげるものがあった。

自分は、そんなふうに何かを、信じたことがあるだろうか。
人にバカにされるかもしれないような、大きな目標を持ったことがあるだろうか。
「できる」と信じた目をして、言えるだろうか。

でも、あのときわたしは、「できる」と思ったのだ。
この人ならできるし、本当に今の勢いならできるかもしれない、と。

夢を持つことは、誰にでも、わりとできることかもしれない。
でも、その夢を人に信じさせることは、誰にでもはできない。

※東京では直近で1月9日に新宿FACEで里村選手率いるセンダイガールズプロレスリングの試合があります。4月には後楽園ホールであります。
今の仙女には、本当にいい選手が揃っているので、ぜひ観に来てください。

www.sendaigirls.jp




わたしと女子プロレス 6

10月11日に、仙台サンプラザホールで、里村明衣子20周年記念試合が行われた。
わたしがこれまで本でしか読んだことのない、神取忍選手も出るし、
仙女の選手も全員出る。
見逃せない試合だと思って、仙台まで行くことにした。

このとき、仙女の仙台幸子選手が、来年に結婚を理由に引退することがすでに発表されていた。
仙台幸子選手は、仙女という小さな団体を支える大きな柱で、彼女が抜けることが痛手でないはずがない。
かすかに「どうするんだろう? 大丈夫かな?」という気持ちを持っていたら、
後輩にあたる宮城倫子選手が動いた。

この試合で、宮城倫子選手は、
カサンドラ宮城」というヒールに転向したのである。
試合に先立って行われた記者会見では、
心配になるほど下手なアイメイクをした姿で現れ、
「朝起きたら、このような姿になっていた」
と、突然言い出した。
「魔王様の命令で〜」と、ディテールが適当な話を繰り広げる宮城選手に、
「こういう形で、仙女の屋台骨を背負おうとしているのか」という心意気を感じ、
カサンドラになった宮城選手の姿を見るのが楽しみだった。

登場したカサンドラ宮城選手は、前髪を金髪に染め、
紫の口紅をつけ、メイクも上手になっており、
衣装も含めて完成度の高い悪役になっていた。
そして、客席から「試合前なのに大丈夫!?」という声が上がるほど激しいヘッドバンキングをして、
最後にコーナーで毒霧を吹いた。
立派だった。
何かを背負おうとしている、そして、これをきっかけに一回り大きくなろうとしている、カサンドラ宮城選手が愛おしかった。

 

そして、この日も旧姓広田さくら選手はすごかった。

新崎人生(男性です)選手と対戦したのだが、白装束に傘をかぶって登場し、傘を脱いでその中に衣装を脱ぎ捨てていき、最後に印を結ぶ、という新崎選手のスタイルを、先に登場した広田さくら選手が丸パクリしたのである。
しかも、脱いだ上半身には肌色のピタピタのを着ており、そこには耳なし芳一のお経のように、寿司屋の湯のみに書いてある魚の漢字がびっしり書いてあったのだ。
そのあとに同じテーマソングで出てきて、本来かっこいいはずのその儀式を行う新崎選手の立場といったら、ない。新崎選手が本物なのに、新崎選手のほうが面白くなっちゃうんである。新崎選手のいつもの入場までもが、広田選手のせいでパロディ化されてしまったのだ。
もちろん、こんなもんやってられない新崎選手は、数秒で試合を終えたのだが、広田選手に「女子プロの世界ではな、3分以内に試合を終わらせるのは給料泥棒って呼ばれてんだ!」と再戦をふっかけられて再戦し、広田選手の得意技に一通りつきあわされていた。

毎回のようにこんなことをやっている広田選手にも驚かされるし、
コスプレしてくるところまでは想像できても、まさか身体に魚の名前まで書いてるとは誰も思わないだろう。
それで、面白い試合を成立させてしまっている。怒られるんじゃないか、とかびびっている様子は少しもない。受け入れられないんじゃないか、という自信のなさのようなものも、ない。
初めて観る人がいても、大丈夫だという自信に満ちている。
何をするかわからないけど、広田選手なら絶対に大丈夫、という謎の安心感があった。

少しだけ、なぜ広田選手が天才だと言われているのか、その理由に触れた気がした。
場を掌握できるし、その場に柔軟に対応ができるのだろう。そういう種類の自信があり、そうしたことを楽しめる才能があるのだろう。


今回の試合の直前に、仙女は初めてチャンピオンベルトを作った。
タッグ戦のベルトと、シングルのベルトの2つである。
タッグのベルトは、仙台幸子とDASH・チサコの十文字姉妹が獲った。
そして、ファイナルの初代王者決定戦を、里村明衣子浜田文子が戦うことになった。

この試合が、死闘だった。
苦しく、長い試合の中で、私はいろんなことを考えた。
「プロレスが好きになった」と言うと、必ず言われる言葉がある。
「プロレスって、結果は決まってるんでしょ? 決まってるのに面白いの?」

わたしはこれに対して、答える言葉を持っていなかった。

目の前で何度も倒れ、激しく当たられ、ダメージを受ける里村選手。
自分が作った初代チャンピオンベルトを、獲らなければいけないはずなのは里村選手だ。

しかし、彼女はかなりボロボロの状態で、浜田選手と戦っている。
負けてもおかしくないし、怪我などで試合が中断されるかもしれないと思った。意識を失っているんじゃないか、と心配になる場面もあった。
それを見ていて、わかってきたことがある。
試合が、こういう流れになるはずだとわかっていても、簡単にわかりやすく勝つことはできない。
誰もが納得できる形で、こいつが最高に強いんだ、と納得させられる形で勝たなければ意味がない。
だから、相手の技を受けて、受けて、受けても立ち上がって、勝とうとする。相手も簡単に勝たせたくないから、もう無理じゃないかというところまで追い詰めていく。
「無理かもしれない」と思う度、里村選手の名前を呼びながら、

私は、これがプロレスなんだ、と初めて思った。

勝つべき者が背負うものは、簡単な勝利なんかではなくて、
絶対に負けられない勝利なのだ。

本当に強いから勝ったんだ、という説得力のある試合を見せなければいけないのだ。

「負けられない」というのは、「逃げ場がない」と同じことで、
そこから逃げずに勝つから、素晴らしいのだ。
あの死闘の中で勝たねばならない十字架を背負って、逃げ場を持たずに戦っている、
そのことこそが、プロレスの醍醐味なのかもしれない、と思った。

決して負けられない試合を、いったいどのくらいしてきたんだろう。
身体に受けるダメージは、嘘や演技じゃない。それを受けても受けても立ち上がって勝つための努力を、どれだけしてきたんだろう。
この日、こんなに凄い、本気でハラハラする試合をした二人には、どんな絆があるのだろう。
お互いの身体を痛めつけながら、心を握り合うような試合に見えた。

美しく、激しい、素晴らしい試合だった。これが観れて本当に良かった。

 

ベルトを獲った里村明衣子選手が、「これを獲りに来ようっていう、若いのはいないのか!?」と煽ると、数人の若い選手がリングに上がってきた。カサンドラ宮城は上がってこない。
カサンドラはいいのか?」と訊くと、「魔王様が……まだ早いと」とカサンドラは答え、里村選手は「そうか、魔王様がそうおっしゃるならしょうがないな」と魔王設定にのっかってあげていた。
そこに名乗りを上げたのがアジャ・コング選手だ。
「里村ーッ! てめえさっきから若い力若い力って言ってっけどよぉ、泥水30年間飲み続けてきたアジャの強さ、見せてやるよ!」と言って、マイクをダンッ! と床に叩きつけた。
泥水飲んだ30年間。嘘じゃないだろう。女子プロレスの不遇をよく知っている人のはずだ。
かっこよかった。いつも、真実は人の心を打つもんだ。

里村選手の20年は、どんなものだったのか。
「20年間のプロレス人生の中で、今が一番、身体の状態がいい」と言い切った里村選手。
わたしが里村選手に見ているのは、希望だ。

以前は、プロレスファンがなぜ論争をするのか、よくわからなかったが、
プロレスを観ながら、人はそこに自分の人生と関わる何かを観ているのだから、
しょうがないんじゃないかと思えてきた。
アジャ選手が飲んだ泥水のことをバカにされたらわたしは怒るし、カサンドラ宮城選手の変貌を笑う人がいたら「どんな気持ちでやったかわかってんのかよ!」と噛みつきそうになってしまう。
里村選手の悪口なんか言われたら、もう、絶対に許せない。

生きていて、たまに、自分のしていることなんて、何にもならないことなんじゃないかと思うことがある。
もともと、ものを書く仕事なんてそういうものだから仕方ないけど、それなりに志を持ってやっているはずのものが、誰にも通じず、伝わらず、やってることに意味なんてないんじゃないか、そもそも自分に力がないんじゃないか、と思い始めることがある。
そして落ち込んでいき、無力感にとらわれていく。
自分には、何もできないんだ、つまらないことしかできないんだ、と。
そんなときに観る里村選手は、ただ一人、自分を助けてくれる人だった。
里村選手は、やっているんだ。
無理かもしれないと言われたことをやり遂げて、今も勝負を、諦めずに続けているんだ。
そう思うと、里村選手に恥ずかしくない自分でいたいと思えた。里村選手のようにはなれなくても、1/100の努力ぐらいはできるんじゃないか。
スーパースターというのは、そういうことを思わせてくれる人なんだ。

どんなに遠くても、いつも近くにいて、勇気をくれる存在。それがスーパーヒーローで、わたしのヒーローは、里村選手だったのだ。

 

 

11月12日(今週の木曜です)に、後楽園ホールで仙女の試合があります。満員の観客で仙女のみなさんを迎えたいと思っています。ぜひ、観に来てください。

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わたしと女子プロレス 5

この頃、ちょっと焦ったことがあった。
8月23日のDDT両国国技館の興行に、里村選手が出ることが発表されたのだ。
デカい会場とはいえ、人気のDDTである。
あわててコンビニに行って、チケットを検索すると、二階の一番うしろの席がギリギリ取れた。

この日の里村選手は、トリプルタッグマッチで天龍源一郎選手と戦った。
天龍源一郎選手は、とにかく大きい。
もともと身長が大きくない里村選手と並ぶと、体格差がえげつない。
天龍選手にバーン! と平手ではたかれると、里村選手の身体が飛ぶ。
何度でも立ち上がり、雄叫びを上げながら天龍選手に突っ込んでいく里村選手。
ヒグマに向かっていく土佐犬のような、すさまじい姿だった。
はたかれ倒れる里村選手を観るのは悔しくて、強く拳を握りしめていたが、
里村選手が、これほど圧倒的に強い相手と戦っているということがスリリングで、高揚した。
女子で、あの天龍選手を相手に、こんなにビリビリと緊張感が伝わってくる試合を、里村選手はしている。

それを観ている間、周りのことは、すべて消えてしまった。
腹の底から振り絞った里村選手の声を聴きながら、彼女の身体が何度もリングに落ちる音を聴きながら、
里村選手の名前を呼んだ。

トリプルタッグマッチだから、そんなに長い時間ではなかったはずだった。
でも、おそらく観た人に強烈な印象を残す、濃厚な時間だった。
強い相手に向かっていくとき、里村選手はいつも以上に輝くのだと思った。
それは本当に命の炎が燃えているのが見えるような瞬間だったのだ。

わたしと女子プロレス 4

7月30日。新宿FACEで、里村明衣子選手率いる女子プロレス団体・仙女(センダイガールズプロレスリング)主催の興行があった。
里村選手以外の仙女の選手を見るのは初めてで、わたしはこの日をとても楽しみにしていた。

この日、まずは仙女の橋本千紘選手がプロテストに合格したことが発表された。
ジャージ姿で初々しく発表する橋本選手は、まだとても素人っぽい。
真面目そうで、根が強そうな選手だ。

仙女の宮城倫子選手は、身体が横に太いわけではないが、妙に身体の迫力がある。

岩田美香選手は、可愛らしく細くて、動きが速い。
そして、仙女の大きな柱になっているのが、十文字姉妹と呼ばれる、仙台幸子とDASH・チサコのタッグである。
この二人はすごかった。
岩谷麻優・紫雷イオのタッグ、サンダーロックと対戦したのだが、十文字姉妹の骨が太い感じがするのだ。

感情むき出しにしながら空中に飛び続けるサンダーロックもすごかったが、十文字姉妹には貫禄があって、カッコいいのである。
何度でも観たいと思うような、面白い試合だった。

 

仙女のほかにも初めて観た選手がたくさんいた。

中でもすごかったのは、旧姓・広田さくら選手である。

広田さくら選手は出てくるなり、
「こら!  私のテーマソングちゃんと渡したのに何持ってくんの忘れてんだよ! なんか適当にかけてくれればいいっつったけどよぉ、これ井上貴子さんの曲じゃねーかよ!」
と言い放った。
正直、これも仕込みなのか何なのかわからない。

旧姓・広田さくら選手の対戦相手はアイガー選手だった。
アイガー選手は、各自ぐぐって欲しいが、顔を白く塗った……いや、顔が白い謎の生命体である。
謎の生命体であるがゆえか、唸り声や奇声を発することはあるが、基本、しゃべらない。
しゃべらないアイガー選手が、その不気味な姿で客席に降りると、悲鳴や笑い声が上がる。

このとき、広田さくら選手がどうしたかというと、アイガー選手に語りかける形式で、アイガー選手の心の声を代弁しながらひたすら実況をしたのである。
アイガー選手は、会場の中から子供を見つけ、驚かせて泣かせたかったようなのだが、平日の夜の新宿の興行に子供はほぼおらず、アイガー選手はうろたえていた。
「アイガー、少子化なんだよ! 子供いねえんだよ!」

広田さくら選手がそう言うと、客席から「お前が産めー」とのどかなヤジが飛び、すかさず「うるせー!」と答えたのち、リングサイドにいる仙女の選手たちに「お前らも笑ってんじゃねーよ! 彼氏作れ!」と八つ当たり。
とにかくリアクションが速く、トークのキレがすごい。
しかも、非常に肩の力が抜けている感じなのだ。

あの「お前が産めー」「うるせー!」のやりとりは、
のちに広田さくら選手が産休宣言のブログを書いたときに思い出されたが、
それでも、「お前が産めー」という、普通ならセクハラとか無神経とか言われそうな発言が、あたたかみをもって発されたもので、
それにすかさず「うるせー!」と答えたことで、さらに丸く収まってしまったことが、

わたしの中には、妙に印象的な出来事として残っている。

ひとつは「ここは、普通の場所とは違う」ということだったし、
ひとつは「ここは、正しい場所でなくてもいい」ということだった。

 

この日、里村明衣子選手は、中島安里紗選手とセミファイナルで戦い、勝利した。

わたしは試合が終わったあと、里村選手にブロマイドにサインをしてもらった。
「応援してます。仙台の20周年記念試合も観に行きます」

と言うと、
まっすぐ目を見て「ありがとうございます」と言われた。

仙女の選手がみんな、気持ちの良い試合をする選手たちだったこと、
とてもいい団体に見えたこと、
いろんなことで胸がいっぱいになって、普段なら電車に乗る距離を、長く歩いて帰った。
里村選手のテーマソングをiPhoneで聴きながら、いさましく歩いた。

わたしと女子プロレス 3

7月26日のスターダムの興行で、再度宝城カイリと対戦した里村選手は、見事勝利してスターダムの赤いベルトの6代目王者となった。

スターダムの観戦も二度目で、知っている選手も増えてきた。
わたしはなかなか人の顔や名前を覚えられないので、
その日の対戦カードと勝敗を「仙女ノート」(里村選手の主催しているセンダイガールズという団体は、通称「仙女」と呼ばれています)を作って、それにメモするようになった。

この日、初めて観た選手は、まず中学生になりたてホヤホヤのレスラー・あずみ選手。

体格は完全に子供なのだが、小さい分、身体が本当に軽く、気持ちのいいくらいポンポン飛ぶし、動く。
「今日出てる奴、ババアばっかだな!」と13歳のあずみ選手にディスられると(女子プロでは「おばさん」とか「ババア」とか、年齢をディスるのは定番のようなのだが、さすがに13歳に言われても……w)ちょっと面白くて笑ってしまった。

そして、9月に引退を控えた紫雷美央選手。
紫雷美央選手は、スターダムを支える柱のひとつである紫雷イオ選手の実の姉である。
この日は二人のラストタッグマッチだった。
紫雷美央選手は、かなりルックスに華のある選手で、ゾクッとするような色気があり、
いったいどんな試合をするのだろうと楽しみだったが、
引退を考えた理由のひとつに、怪我などで身体が本調子でないこともあったのか、
(その後、結婚も発表されました。おめでとうございます)
あまりリングに上がらず、活躍が見れなくて残念だった。
久しぶりの姉妹タッグに会場は湧いていて、
もっといい時期には、いい試合もしていたのだろうと思えて、
それが観れなかったのが残念だった。

そして、メインマッチで里村明衣子選手がスターダムのベルトを奪った。
スターダムの選手にとっては、他の団体の選手にベルトを奪われるというのは、
大きな屈辱であるに違いないけれど、
実力から言って、里村選手が来てしまったら、奪われてしまうよな、というふうに見えたし、
だからこそ、それでも果敢にベルトと守ろうとする宝城カイリ選手の粘りもまぶしかった。

勝利したあとのマイクパフォーマンスで、里村選手はこう言った。

「3年越しにベルトを巻くことができました。里村、ちょっと遅いですが、咲いてきましたよ。これから、スターダムだけじゃなくて女子プロレス界をもっと輝かせていきますので。
これは、私の役目です」

里村選手は、たぶん、あんまりマイクパフォーマンスが上手な選手ではないと思う。
ルックスが派手で若く、アイドル的な側面を持つスターダムの選手のこなれたパフォーマンスや語りに比べると、里村選手の言葉は、不器用なほうだ。
だけど、だから、言葉が重い。
だから、背中で、全身で語るものが大きい。
「これは、私の役目です」。
飾らない言葉で、ちょっとはにかんだところを隠すようにして「里村、咲いてきましたよ」と言う里村選手の姿を見て、
満足したわたしたちは、胸がいっぱいのまま、日も暮れないうちから水道橋でビールを飲んだ。
赤いベルトは、里村選手にとても似合っていた。

帰りに、知り合いに教えてもらったプロレス専門ショップ「闘道館」で、里村選手のインタビューが載っている雑誌を片っ端から買った。
ネットのオークションに出てる雑誌で、里村選手が載ってるとわかるものもいくつか落札し、「ガイアガールズ」のDVDも買った。
どのインタビューでも、映像でも、里村選手にはぶれやごまかしが全然なかった。いつも率直で、嘘がないと感じた。
「ガイアガールズ」には、新人時代の里村選手が出ているが、

その若さですら「雑念とか、ないんですか!?」というくらい、まっすぐなのだ。
そのまっすぐさが、もともとの魅力なのだろうけど、
いまの魅力は、もっと大きく、深みのあるものに思えて、
きっといろんなことがあったのだろうな、と漠然と想像するだけだった。

センダイガールズプロレスリング主催の新宿FACE大会が、わずか4日後に迫っていた。
わたしは最前列のチケットを買っていた。


※11月12日に後楽園ホールで、センダイガールズ主催の大会があります。もちろん他の地域でも試合が行われていますので、こちらからどうぞ↓

www.sendaigirls.jp

わたしと女子プロレス 2

里村明衣子選手が好きになった」と友達に話したら、
「雨宮さん、『劇場版プロレスキャノンボール2014』観てたよね? あれに里村選手が出てたの、覚えてない?」と言われた。
はっとした。そこでつながった。

劇場版プロレスキャノンボール2014』とは、DDT(男子のプロレス団体です。とても有名で人気があります)が『テレクラキャノンボール』の発想を借りて、何チームかに分かれて「北に向かいながら、とにかくプロレスしてくれる相手を探して、勝ち、負け、引き分けのポイント制で点数を競う」という、ロードムービー的なドキュメンタリーだ。

その中で、確かに里村選手が出ていた。
最初は、普通の練習着みたいな服装で、センダイガールズプロレスリング道場に現れたDDTの選手たちに、にこやかに対応していて、
その姿はめちゃくちゃ「普通の優しそうな人」だった。
試合をしてくれと申し込むと、里村選手はあっさりと「いいですよ」と笑顔で言う。

そのあとがすごかった。
コスチュームに着替えて現れた里村選手は、さっきまでの気さくないい人とはまるで別人で、
男子相手に、きちんと試合をする。

「まるで別人」って、ひとことで書くのは簡単だけれど、
演出もなにもない映像の中でそれが映るっていうのは、相当のことだ。
「プロレスラーがリングに上がるっていうのは、こういうことなのか」とぼんやり思ったのを覚えている。

『プロレスキャノンボール』全体では、「気合を入れてリングに上がる」「リングの上では別人になる」ということではなく、
普段の場所で、なんでもないところでいきなりプロレスを始めるという、やんちゃな面白さ、自由さが中心になっているので、
『プロレスキャノンボール』という作品の面白さや良さはそういうところにあると思うのだが、
それとは別のところで、なんだかかっこいい女の人がいた、というのは記憶に残っていた。

すごく異質だった。
あれが里村選手だったのか、と気がついた。

里村選手のことを、あまりプロレスを知らない人に話すとき、

『プロレスキャノンボールの〜』と説明すると、

「ああ、あの人!」と言われる。
里村選手の出演時間は、そんなに長いわけではないけれど、
すごく常識人っぽい、優しそうな人が、

リングに上がると、すごいプロレスラーに変身する、という場面が、
やはりすごくインパクトがあったのだ。
それって両立できるの? というような真逆の人格が一人の人間の中にある、ということが、とても面白く見えたのだと思う。

※今月、東京では上映中のようです。

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